2009/06/30

おばさん論

今日は東京虎ノ門で簡単なお仕事。
一緒になったバイトのおばさんと2人で
封入作業をしながら6時間喋り倒した。

僕は何故かおばさんと相性がいい。話が弾むのだ。

昔からなんとなくそれは自覚していたが、何故なのか
最近分かった気がする。

つい最近父親にふと「オマエ、血の繋がったおじさんいないだろ?」
と言われた。よく考えたら本当だ!
父親は妹一人、母親は姉妹二人。全員オバサンなのだ。
逆に父親は血の繋がったおばさんがいないらしい。


そしてつい先日、たまたま本屋で手に取った『逆立ち日本論』
で、本ブログの引用としてよく使わせて頂いている内田樹氏と
養老孟氏が対談で似たようなことを書いていた。
以下長いけど引用(新潮社HPより)

第一章 われわれはおばさんである

われわれは「おばさん」か?


内田 「ウチダさんには、なにかだまされたような気がする」
    って話し相手によく言われるのです。

養老 それなら、ぼくもしょっちゅう言われます。

内田 養老先生もですか。関係あるのかないのかわかりませんが、
   この本の企画はそもそも編集担当の方が、ぼくと養老先生は
   「おばさん」っぽいところが共通していると感じたから始まった
   のだそうです。二人ともおばさん的メンタリティを
   持っているのだそうです。

養老 おばさん?

内田 そう、「おばさん」。
   対応が女性っぽいということなんでしょうかね。
   思い返してみたんですけど、ぼくの場合は、幼児期
   から少年期にかけての母子関係が濃厚だったせいかも
   知れません。「中年のおばさん」である母親を相手に
   毎日のように「親戚のナントカちゃんがどうした」とか
   「あそこのウチの夫婦仲はどうだ」なんていう世間話を
   伺いながら、お茶菓子をつまみながら「はーん」
   なんぞと返事をしつつ長時間にわたって懇談して
   いましたから。子どものころから、そういう
   「おばさんの語り」に慣れ親しんできたせいで、
   「おばさんたちにはロジックが通らない」ということに
   ついては幼少期からすでに熟知しているわけですし、
   それにどう合わせてゆけばいいのかということも
   体得されてくる。おばさんの話というのは話が
   「ツリー状」に階層的に体系化されてなくて、
   「リゾーム状」に脈絡なくだらだらと横に広がって
   いくんですけれど、そういうのがたぶんいつの
   まにか好きになってしまったんです。
   中学生の男の子が母親と差し向かいで大福なんか
   つまみながらお茶をだらだらと飲んで、
   「あのうちもどうかと思うわよ」「そうだわねえ」
   というようなやりとりをしていたわけですね。
   それを見た兄貴に「おまえ、お袋なんかとお茶飲んで、
   よくあのおしゃべりに付き合えるな」とあきれられた
   ことがあります。たしかに言われてみればその通りで、
   別にとくに誇るべき知見が開陳されているわけ
   でもないし、有用な情報のやりとりがあったわけでも
   ないんです。どこがおもしろいのかと改めて聞かれると、
   たしかに別に面白くもない。
   でも、ぼくとしてはその話の展開の仕方がたぶん好き
   だったんでしょうね。おばさんの話って、ずりずりと
   横にずれますでしょう。論理の肌理が、男性の操る
   ロジックとはちょっと違う。
   それが何となく性に合ったんです。

養老 その違いはわかります。

内田 おばさんの思考って、頭で考えたことではなくて、
   どちらかというと非常に身体感覚的ですよね。
   論理がふらふら揺れる。
   おじさんは頑固ですけど、おばさんってあまり頑固じゃない。
   おじさん相手の場合、意見が一度対立すると調整するのが
   大変ですけど、おばさん相手なら、話の具体的な細部について
   いちいち「そうそう」と頷いてさえいれば、それらの具体的な
   細部から一つ抽象的な結論を演繹するときは、極端に言えば、
   どんな結論にいってもおばさんは気にしないんです。
   論理の次元が繰り上がるときには、あまりおばさんは
   こだわらない。話のユニットが一つずつ連想とか関連語
   とかで水平方向に繋がっているから、「だから」という
   論理の階梯が垂直方向に動くときは「横の繋がり」が
   ないので、たぶんあまり実感がない。
   ですから、実名入りの具体的な世間話をあれこれとした
   あとに、結論として出てくる命題は、
   「結局お金だ、ということよね」になっても、
  「やっぱり、正直がいちばんということよ」になっても、
  「頭のいい人は違うわね」でも、なんでも繋がる。
   縦方向には繋がりがないから、どんな結論でも
   いけるんです。
   こういう論理のでたらめさは父親と話すときには
   ありえなかった。父親は一枚岩で終始一貫しているから、
   これをロジカルに攻略することはきわめて困難です。
   一度対立すると殲滅戦になるしかない。
   だから、向こうも自説の枠組みは容易には譲らない。
   でも、おばさんたちはフレキシブルで取替え自由だから、
   話が具体的で「ああ、そういうことって、あるわよね」
   というところで一度話が噛み合えば、あとはずりずりと
   どこまでもついてきてくれるんです。

養老 講演会でも、おばさんのほうがよく笑ってくれます。
   おじさんはなかなか笑ってくれない。
   笑ってくれないどころか、
   笑うものかと身構えている様子さえうかがえます。

内田 おじさんはほんとに笑わないですね。
   席から演壇をにらみつけている人も多いし。
   ぼくは子どものときからそういった「おばさんロジック」
   なるものに慣れ親しんできたので、男性言語と女性言語と、
   両方いける一種のバイリンガルじゃないかと思うのです。
   男性言語でしゃべっていて、つっかえたときは、パッと
   女性言語に乗り換えて、「あら、ダメねえ。話ごちゃごちゃに
   なっちゃって、何話しているのかわかんなくなっちゃった」
   と論理が立ち往生したこと自体を笑いネタにして、隘路を
   切り拓いてゆくことができる。
   男性的ロジックでぐいぐい押していってうまくゆかなく
   なると、急に「あら、これじゃダメなんじゃない」という
   ふうに放り出すというぼくのやり方が、男性ロジックで
   ついてきた人からすると「なんかだまされたような気がする」
   という印象がするんじゃないでしょうか。
   「その場ではうまくウチダに言いくるめられちゃったけど、
   よくよく考えてみるとあれはおかしいだろう」と後から文句を
   言われること、多いです。

(中略)

内田 母親との関係性が濃い少年というのは、もしかすると、
   「お節介」というふるまい方に対してあまり違和感や嫌悪感を
   持たないんじゃないでしょうか。そんな気がします。
   だって、母親が「お茶飲まない?」と言ってきたときに
   「やだよ」と断る選択肢だってあったはずなのに、
   結局母親の世間話にずるずると引きずり込まれて
   いったわけで、母親のお節介に対して「はいはい」
   と応じてしまう性向があったということですよね。
   ぼく自身、ひとから「ウチダはほんとうにお節介
   な野郎だな」とよく言われるし、それはほんとに
   そうだよなと思うんですけれど、これはやはりおばさん
   とのかかわりを通じて「お節介耐性」が強化された
   せいなんでしょうね。

養老 ぼくは、おばさんの話に興味があったわけではないですが、
   お袋が割合と「説明が多い」タイプだったので、それに慣れた
   ということだと思います。父親はぼくの幼い時になくなって
   医者の母親は家で開業していたから、それをシャワーのように
   一身に浴びて聞いていました。だから、黙って聞いていた
   ものの、いつの間にか慣れちゃったのでしょう。
   だから、女性とは結構相性がいいのです(笑)。


ちょっとおばさんを一般化しすぎかもしれませんが
かなり当たってる気がします。
僕も御節介と言われることがあります。
僕の場合は母親+更に多くの「濃いオバサン」に囲まれて
育ったせいかもしれません。

こんなわけで、おばさんはとにかくよく喋るので
おばさんの『口コミ力』の威力もよく知っています。

僕が企業のマーケティング担当者だったら
まずはおばさんにターゲットを絞る気がします。

ここ2週間

くらいの読書

・ノルウェイの森 上下 村上春樹
・ハックルベリー・フィンのアメリカ 亀井俊介
・多文化世界 青木保
・丸山眞男の時代 竹内洋
・悪の読書術 福田和也
・帝国アメリカと日本 - 武力依存の構造 チャルマーズ・ジョンソン
・異文化に育つ日本の子供 梶田正巳
・こんな日本でよかったね 内田樹
・おじさん的思考 内田樹


『1Q84』のバカ売れに触発されて我が家の本棚に眠っていた
ノルウェイの森を読んでみた。
うちから15分足らずの所に住んでいるのに恥ずかしながら初村上。

そういえば「Q」を「9」とかけるのって日本人にしか
伝わらないと思うんだけど英語版ではそのままの
タイトルなんだろうか。
日本人以上に「IQ84」だと勘違いされそう。

2009/06/29

カビの季節

梅雨本番。

家の玄関に放置していた野球グローブをはっと
見ると見事に緑色のカビだらけになっていた。

4年間も梅雨とは縁のない生活をしていると、
ついこういった些細な行為で家中の物にカビが
生えることを忘れてしまう。

四方を海に囲まれ、モンスーンの影響を受ける
国の宿命だけど、こうして毎日ジメジメと雨ばかり
が続くと、アメリカ西海岸なり北海道なりの抜ける
ような青空が恋しくなる。
雲一つ無い高い空は本州では秋にしか見られない
けど、やはり解放感があって僕は好きだ。


気分だけでも爽やかなポートランドの夏を

青さでは劣るが去年の6/26の札幌

2009/06/23

カナダのニュース

カナダという国は、いささか地味だ。
いくら「カナダに留学してきます」と言っても
「渡米はいつなの?」とか「アメリカでは何を勉強するの?」
といった調子で返されることが多いので、多くの方には
北アメリカ大陸=アメリカ、という認識で通っているらしい。

それも肯ける。確かにカナダが国際ニュースに登場する
頻度は極端に低い。悪いニュースも聞かないが良いニュース
もあまり聞かない。"No news is good news"とは言うが、
人に例えるならば、特別モテはしないけど、人当たりが良くて
優しい、俗に言う「いい人止まり」の人のような気がしてならない。

今日はそんなカナダが、しかもバンクーバーが、オリンピックネタ
以外で珍しくネットニュースに出ていたので何かと思ってクリック
してみたら以下の記事。

[バンクーバー(加ブリティッシュコロンビア州) 22日 ロイター]
カナダの警察当局は22日、持ち帰り用のファストフードを
ドライブスルーの窓口から裸で奪って逃げた
「恥知らずな」泥棒の行方を追っている。

警察によると、ブリティッシュコロンビア州ラングレーにある
ファストフード・チェーンのウェンディーズで、店員がドライブスルー
の客の女性に食べ物を渡そうとしたところ、裸の男が走って来て、
フライドポテトを奪い去った。

警察は発表文で「店員と客のどちらも犯人の特徴を覚えていなかった」
と述べた。男は20代とみられ、待っていた車に飛び乗り、
現場から走り去ったという。


笑ってしまう犯罪、の中でもかなりクレイジーな
部類に属する。

何が凄いって、裸なだけでもショッキングなのに、全裸の人の
後ろ姿だけでは確かに特徴が掴めないところに妙な「巧さ」を
感じてしまう。

犯人なりの戦略だったのか、あるいはただの露出狂だったのか
分からないけど、相当フライドポテトが食べたかったのかな?

「フライドポテト一つの為に銃を発砲」じゃなくて良かった。
カナダって平和な国ですね。安心しました。

被害者の人には申し訳ないけど。

2009/06/21

安曇野 梅雨

金曜真夜中の新宿から車で約5時間。

信州安曇野に初めて行った。
のんびりを極めた旅行。食っちゃ寝、たまに身の回りの
物にカメラを向ける。特に何をする訳でもなく、
気ままに各自好きなことをやり、美味しい食べ物を食べて
酒を飲む。今回の宿である舎爐夢はそんな
肩ひじ張らないのんびり旅行に最適。













2009/06/18

Study Permit

カナダ大使館に申請していた学生用の滞在認可証
(Study Permit)が無事に発行されました、という
メールが入った。

まずは大前提がクリアされたのでめでたしめでたし。
これがなければ何も始まらないので侮れませんよね。

カナダの場合はアメリカのI-20のような物ではなく
入学許可証の写しだけでビザ申請ができてしまいます。
なんかユルいな~。

更に、Study Permit自体も本体は入国審査の段階で
渡されるらしく、カナダに入国する際にメールの
コピーを見せて、Study Permitを貰ってね、という指示です。
うーん、やっぱりユルいな~。

アメリカのように高圧的でやたらと厳しい(のかと思いきや
異常に適当だったりする時も)のも嫌ですが、ユルユル
なのもホントに大丈夫かな~?と不安になります。

少なくともpdfで正式な印鑑付き、とかかと思ってました。
ま、貰えたんだからいっか。

世田谷散歩

世田谷美術館の写真展へのタダ券を貰ったので
行こう、と誘われて世田谷知人宅訪問も
兼ねて梅雨の世田谷散歩に行ってきました。

たまに写真展に行ってプロの写真を見ると色々と
刺激をもらえる。構図・タイミング・メッセージ、
どれもやっぱり見習うところばかり。




夜は祖師ヶ谷大蔵のマレーシア料理店に連れて行ってもらう。
知る人ぞ知る、という感じのかなーり分かりにくい場所でした。
オーナーご夫妻が定年後に自宅のガレージを改造して作ったという
食堂には素敵なインテリアや雑貨が並ぶ。
湿気のある夜にビールとスパイスの利いた料理を
食べるとアジアの屋台にいるような気分になる。





週末は長野県安曇野に撮影旅行に行ってきます。
良い写真が撮れるといいな。