先日書いたMichael Pollan著"In defense of food"を読み終えた。
New York Times Bestsellerにもなった本です。
せっかくなので自分の為にも主なポイントを書いておこう。
Michael Pollan (2008)"In Defense of Food: An Eater's Manifesto"第1部:Nutritionismの時代・ここ数十年は、食べ物が食べ物としてではなく、栄養素として語られる
"Nutritionism"の時代である。
・-ismというからには、栄養学のことではなく、食べ物を栄養素に分解して
人間にとって良い物vs悪い物という分類をすることができる、というイデオロギー。
・食品業界としては食品科学が発展し、"身体に良い/悪い"物質が解明される
度に、その物質だけを追加あるいは取り除いた新商品を作りだすことができる。
その上にビジネスモデルが出来上がっている。
・但し、このような要素還元主義的な手法の導入の結果アメリカ人が以前より
健康になったかというと、現実は逆。肥満と心臓病は以前より増えている。
・何故なら70年代に諸悪の根源は脂肪である、というアナウンスがされた途端に
アメリカ人は脂肪の消費を減らした結果、逆に炭水化物の消費が一気に増えて肥満が
広がり、結果的に心臓病も増えた。
・ということはそもそも食べ物ほど複雑な物を要素還元的に扱うこと自体に
無理があると考えるのが妥当ではないか?
・食べ物は単純に化学物質の寄せ集め以上の複雑な物であるので、良質と判断された
物質を増やすだけでは健康増進には繋がらない。物質同士のシナジー効果と微妙な
摂取バランスが本当は大事。
第2部:Western Diet(米国的食生活)*と現代病・米国化された食生活により糖尿病・心臓病・肥満などの現代病を抱えた
オーストラリアやアメリカの原住民を元の伝統的な食生活に戻させた結果、
健康状態が劇的に改善されたケースがたくさんある。
・他の研究結果と合わせて考えても、どうやら現代病と言われる病の多くが
食生活の米国化によってもたらされているよう。以下が米国的食事の特徴:
1.加工食品の多さ
2.フードシステムの単純化
(ex.単一栽培[monoculture]、物質構成が単純な化学肥料)
3.「質より量」
4.葉っぱより種(ex.大豆、とうもろこし、小麦の大量消費)
5.食文化(food culture)の食科学(food science)への変化
(ex.食べる、という行為が文化的営みから単なるエネルギー補給へ)
*Western=西洋・欧米と訳したいとこですが、本の内容的に
Westernize=米国化とした方が正確。
第3部:Nutritionismの克服・食品会社や政府の手に移ってしまった"eat healthy"という知恵を
再び家庭や文化に戻すためにはどうするべきなのか?
・
7単語で言えば"Eat food. Not too much. Mostly plants"日本語訳すれば「植物を中心に適量の"食べ物"を食べよ」。
ここでいうfood(="食べ物")とは「食べ物のような物」ではなく
「ホンモノの食べ物」という意味。要するに出来るだけ加工食品は食べるな。
・上記の言葉をそれぞれ分解してルールを作れば:
Eat food:-あなたの曾祖母が食べ物だと認識できるであろう物しか買わない。
-成分表示に発音できない物質or聞いたことのない物質が入ってる物は買うな
-材料ができれば5つ以内である物を買う
Not too much:-The French Paradox(フランス人のパラドックス)というように、フランス人
があれだけ脂肪もアルコールも大量に摂取してる割にはアメリカ人より健康な
理由の1つに、少ない量を時間をかけて食べていることが挙げられる。
-食べ物にもっとお金をかけ(より質の高い物を買い)、結果的に消費を抑えよ
-できるだけ自分で料理し、できれば家庭菜園を持つ(季節の物を中心に食べる)
Mostly plants:-葉っぱには大抵抗酸化物質が多く含まれているし、種に比べてカロリーも低い。
-肉を食べるとしてもその肉が何を食べて育ったか気をつける
(You are what what you eat eats!)
-肉より魚を食べよ(※ちなみに魚もたべるベジタリアンはPescatarianという)
-イタリア人、フランス人、ギリシャ人、日本人のような食事をせよ
ざっと本の流れに沿ってまとめるとこんな感じ。
感想としては:
・どの論点もロジックが通っていて、それを支えるデータが豊富。
研究者の意見も多く採り入れられている。
・サイエンスを批判しつつ、サイエンスの言葉をうまく使って対立論
を構成しているのがうまい。非科学的/宗教的/オカルト的な理由付けに
走ることなく、サイエンスの限界を指摘している。
・日本人的には「まあ、言われなくても実践してます」と思うところはあった。
・「食べ物にもっとお金をかけ(より質の高い物を買い)、結果的に消費を抑えよ」
というと、オーガニックフード=余裕のある金持ちが買うもの、という現在の
状況から抜け出れないのでは?と思った。ただ、オーガニックフードを買う、という
行為が単純に個人の健康増進の目的ではなく、その産業にお金を落とすことで
ある意味「投票」していることになる、という指摘もしているので、まずは余裕が
ある人が、という意味なのかな。
北米西海岸を中心に盛んなEnvironmentalismやDeep Ecologyといった反体制的、
左寄りな動きを支持する人達はこの本でも盛んに出来たReductionism(還元主義)
やCartesian Dualism(デカルト的二項論)の弊害や限界を指摘することが多い。
今学期のリース教授の読み物でもしょっちゅう出てきた(というか本人がモロその主張)。
そういう意味ではPollanがUC Berkeleyの教授であるのは、「うん、そうだな(笑)」
と思った。
上記の議論は、資本主義、新古典派経済学、グローバリズム、工業化、経済成長主義、
こういう単語によって特徴づけられる現在の世界的パラダイムに対する批判の
道具として一般的なんだろう。環境問題でもnutritionismの話でも、還元主義的な
分析手法を使う対象として両者とも複雑すぎる故にうまくいかない、という
意味で問題の構造は同じ。ただ、上でも書いたが、それじゃあどうすればいいの?
という時に批判の対象である還元主義者の使用するボキャブラリーを避けつつ、
非科学的な議論に陥らないようにするバランスが凄く難しいところな気がする。
結局Deep Ecologyなんかも環境が大事です、という主張はするけどその根拠として
「自然にはintrinsic value(本質的な価値)があるから」というある意味宗教的な
理由づけの域を脱していないので説得力に欠ける。そんなこと分かってるけど、
地球の人全員がそう思ってる訳じゃないし、林業で生計を立ててる人は他に
選択肢がないからやむを得ず切ってるかもしれない。だから苦労してるんじゃないか。
そう言えばあっけなく論破できる。
そういう意味で僕は環境は大事だと思うけど狭義のEnvironmentalistには
賛成できない部分も多い。現在学んでいるSCARPは少し理想主義に傾きすぎている
気がずっとしていますが、アカデミアは理想を追求することに意義がある、
といえばそういう気もするので、理想を学びつつ現実的な政策を提案
できる力もこの二年間で養いたい、と常に思う。ってわけで学部内に限らず
経済学部やビジネススクールなどの授業も積極的に覗いてみようと思ってます。
まあ上記のような内容はまた後々ゆっくり書きたいと思います。
・・・と、かなり脱線しましたが(笑)、本の内容的にまだまだ取りこぼしたとこも当然
あり、かつ作者はもの凄くレトリックがうまい人なので、興味がある/冬休みに何か
読みたいという方は原作を読むことオススメします!