2011/02/25

最近のバンクーバー

晴れの日が多いです。そして寒いです。今朝はマイナス8度まで下がった。

友人と市内巡りをした時の写真です。








2011/02/23

春休み

先週から今週にかけてのReading Weekと呼ばれる春休みは、高校の友達が
遊びに来ていることもあり10日間中6日間スキー、という濃密スケジュールだった。
そのうち3日間が内陸のレベルストーク、3日間がウィスラーだった。
どちらもパウダー+快晴という信じられないほど良好なコンディションに恵まれた
お陰で、これだけでカナダ最後の冬を思い残すことなく過ごせた気がする。

どちらも新しく手に入れたGoProカメラで記録も残すことが出来き、大満足。
一眼レフを持っていかなかったが、GoProでも十分高画質で迫力のある映像を残せる。

レベルストーク(1)


レベルストーク(2)


ウィスラー(1)


ウィスラー(2)

2011/02/13

ウィスラーの動画

今日は天気と雪が良さそうだったので、明日からレベルストークに行くというのに
フライングで急遽ウィスラーに行って来た。案の定雪も天気も良くて最高の1日だった。

最近買ったヘルメットカメラで初撮影。予想以上の高画質で大満足!
しかも魚眼っぽいパースペクティブがいい。

2011/02/12

今日から

高校の友人が遊びに来る。来週1週間が大学の春休みなので、それに
合わせてスキーをしに来てくれるのだ。

しかし彼が3月1日に帰った後も3/10-17と大学の友達が三人、3/15-28は
弟と立て続けに来客の予定。しばらく賑やかな日々が続きそうです。

2011/02/06

60周年記念Galaとシンポジウム

写真の見栄えがいいから、という単純な理由で背景色を黒にしてみました。


この1週間は我がSCARPにとっては結構慌ただしい1週間だった。

まず木曜日夜に行われた学部創立60周年記念Gala(祝賀会)。
ダウンタウンのフォー・シーンズ・ホテルにおよそ300-400人の卒業生・関係者が集まった。



SCARPの歴史を簡単に紹介しておくと、創立は1951年。カナダで初の都市計画学部。
創立者は故Peter Oberlanderという人で、カナダ人として初めてハーバード(北米初の都市計画学部)で
都市計画の学位を取得した人物。
のちのち国連人間居住計画へのカナダ代表として活躍した。奥さんのCorneliaも実は
造園家として超有名で、Peterと同じくカナダ勲章受賞者だ。現在もお元気で、今回のGalaにも出席していた。

うちの学部は決して卒業生ネットワークが強固とは言えないので、正直あまり
卒業生の実態については知らなかった。しかし改めて聞いていると、バンクーバー周辺の
プランナー(都市計画屋さん)はほとんどうちの卒業生。司会を務めた人の最初の一言で
「これは言うべきかどうか分からないんだけど、正直言って、SCARPの卒業生が一度に
同じ場所に集まるのはどうかと思うんだよね。だって、今でかい地震が来てみんな
死んじゃったら、バンクーバーにプランナーがいなくなっちゃうよ」と言い、笑いを誘っていた。
でもあながち冗談でもないかも。

バンクーバーは長年『世界一住み易い街』と呼ばれてきた(僕はそもそもランキング
にあまり意味がないと思っている。よほど酷い場所を除けば「住めば都」主義です。)
が、その根拠ともなっている整然とした都市計画は、主にLarry BeasleyとAnn McAfee
という2人の都市計画局長の功績だと言われている。この2人ももちろんうちの卒業生。
2人は2007年に都市計画の分野で最も権威のあるケビン・リンチ賞(MITが毎年発表)を
受賞している。今学期Larry Beasleyの授業を受講してますが、確かにとてもカリスマ的な人。
現在はリタイアして、アラブ首長国連邦アブダビの都市計画アドバイザーをはじめ、
オランダのロッテルダム、テキサス州のダラスなどで国際的に活躍する著名プランナーです。

こういうGalaにありがちですが、いかに卒業生が活躍しているか、という褒め殺し大会という感じでした。


翌日の金曜日は朝から学生主催のシンポジウム。一昨年から始まり、今年が第三回。
今年はキーノートスピーカーとしてハーバード大学のSusan Fainstein教授を招待した。




彼女の最近の著書"The Just City"を題材に都市計画が社会的公正を実現するためにはどうすればよいか、みたいな話をしてくれた。

近代都市計画の歴史は「権威主義的都市計画」と「市民参加的/民主的都市計画」という
2つの対立概念の戦いの歴史とも言える。前者は19世紀のパリ改造で知られるオスマン、ニューヨークのモーゼス
のように理論や専門家の手によって一方的に行なわれる『都市計画』。
対して後者は草の根的で、コミュニティや住民主導の『まちづくり』。Jane Jacobsが特に有名。
これは少し言い換えてみれば前者はどちらかというと「結果重視」、後者はどちらかというと「プロセス重視」とも言える。
前者は社会的公正を実現するためには多少強引でも専門家が理論に基づいて行なう政策
や計画が重要だと主張し、後者は計画段階でいかに多くの市民を巻き込むかが社会的公正を担保する、と主張する。

Susan Fainsteinの主な論点は近代都市計画への過剰批判が「反都市計画主義」の
ような状況を作っていて、結果的にプランナーが聞き役に回り過ぎている、というもの
だった。プランナーはもっと積極的に「正義論」を持ち、社会的公正の実現に関るべきじゃないかっていう話。
その根拠として、市民参加というプロセスは市民同士のパワーダイナミックスに対して
ナイーブすぎる、という点を主張している。公正と思われている市民参加というプロセス
は多くの場合政治的権力を持つ者や直接利害が絡む人の思惑によって不公正な結果を
もたらすことが多いからだ。

でもこれって都市計画っていう分野に限らず政治学の永遠のテーマ。
民主主義っていう制度は情報の非対称性が少なく、十分に教育を受けた市民が
全員投票に行けば理論上うまくいくものかもしれないけど、実際はそんなはずがない。

今回のシンポジウムのテーマは"Justice"だったが、どのパネルでも答えがなく終わりのない議論を延々とした1日でした。
びっくりしたのが、なんとJane Jacobsの息子がバンクーバー在住の市民アクティビストで、
今回のシンポジウムに来ていたこと。「あ、そういえば僕息子です」ってサラリと言った
のでびっくりしましたよ。知ってる人は当然知ってましたが。この辺じゃ有名人みたい。


あまり意識してなかったけど、そういえば日本でもマイケル・サンデルの『Justice』が
去年大流行だった。リーマン・ショック後色々明らかにされたアメリカのinjustice
(サブプライムが低所得者層を食い物にしていたかと思えば、倒産間際の大企業CEOへ
破格のボーナスが支払われるなど)等がきっかけで社会全体のjusticeへの関心が高まっていることの表れなのかな。

シンポジウム中は現在エジプトをはじめとする中東地域で起こっている民主革命の話題も
色々なところで話題に上りました。

2011/02/01

人生を楽しむ人達

今日はコーヒー1杯で5時間カフェに居座って奨学金応募の書類作成に時間を割いた。
American Planning Association(全米都市計画学会?協会?)の環境ディビジョンが
出している2500ドル(20万ちょっと)の奨学金で、修士論文を執筆中の修士2年生が対象のものだ。
こっちはこういう小口の奨学金が本当にたくさんあるので、努力さえすればタダで貰える
お金がゴロゴロと転がっている。学生に対する財政支援の充実度もこっちで院生をしていて
いいと思う多くの要因の1つだ。

夜は、去年行ってめちゃくちゃ楽しかったので今年も企画しているBC州内陸部Revelstoke
へのスキー旅行(→昨年の記事)作戦会議 兼 餃子作りパーティーに行って来た。
今年は日本からはるばる高校時代の親友が滑りにやって来る。去年は3人で行ったが、今年は
4人旅行で、日本から来る彼以外の2人は両方30歳前後の既婚女性。フランス人とカナダ人の
ハーフとアメリカ人。うちの学科でスキー狂の人達は何故か女性が多い。っていうか
そもそも学科の三分の二が女性なんですが・・・。

フランス系カナディアンのSさんは昨年も一緒にスキーに行ったし、普段から仲が良いので
お互い良く知っている。もう1人のアメリカ人Tさんは1年生で、まだ彼女のことはあまり
知らなかったので、スキー前の親睦会も兼ねての餃子パーティーだったのだ。
(昨年Revelstokeの宿で餃子を作って以来Sさんのお気に入り料理となったので)

彼女達と餃子を包みながらスキー計画の話を含めて色んな事を話した。

Tさんは今年の5月に挙式を予定していて、婚約者の同じくアメリカ人の彼とは
現在シアトルとの遠距離恋愛中。シアトルならまだ近いので中距離恋愛、と言っても
いいくらいだが、ついこの前までは彼がサンフランシスコにいたにも関らず、毎週末
会っていたというから驚いた。
(注:バンクーバーからサンフランシスコって、普通に北海道から九州くらいの距離あります。)
なんでそんなことが可能だったの?と聞くと、航空券代がほとんど彼の会社持ちだったから、
だそうだ。婚約者と会う為の費用を出してくれる、そんな良心的な会社があるのか!
と仰天したが、その他の彼らの人生の送り方を聞いていても、色々びっくり。
北米人の自由奔放な生き方はもう嫌と言うほど目の当たりにしているが毎度聞く度に
日本とのあまりの違いにびっくりする。率直に言って、(色々苦労もあるだろうが)彼らは
人生をほんとうに楽しんでいるなあ、と羨ましく思う。

Tさんは米国中西部の超ヒッピー名門大学を卒業後しばらく教授の手伝いの仕事をし、
すぐにエクアドルへ。現地のNGOでアマゾンの原住民の支援・教育プロジェクトに従事し、
その後はガラパゴス諸島の漁師達をダイビングコーチに育成するためのカリキュラム作りに従事。
(これは、ガラパゴス周辺の魚の乱獲を食い止めるためのプロジェクトだったらしい)
エクアドルとガラパゴスで3年過ごして次は何をしようか迷っていた矢先に、南米放浪中だった
今の婚約者とエクアドルのレストランで出会い、一瞬で恋に落ち、彼についてカリフォルニアへ。
1ヶ月ヨセミテ国立公園の中をキャンプして過ごし、その後サンフランシスコの靴屋で
働き、彼がコンサルの職を得たのを機にTさんはレイク・タホ(カリフォルニアのスキーメッカ)
に移り住み、2年間そこで働きつつスキー三昧の日々を送る。そろそろまた勉強でもすっか、
と大学院に出願をはじめ、去年からうちの学科に入学した、というわけだ。
卒業後は再び国際的な開発系の職に就くことを希望している。


30歳手前の彼女の今までの人生は日本ではいわゆる「フリーター」という分類をされるだろう。
世間からは「結婚もしないで色んな仕事で食い繋いでフラフラしやがって」という目で
見られることだろうと思う。しかしこっちではこういうライフスタイルを送る人は
極めて普通。各自がその時に興味のあることをとことん追求して、日本人から見れば
計画性のないフラフラした生活をしている人がとても多い。それでも日本とこっちで
決定的に違うのは、彼等彼女等は普通に「健康で文化的な最低限度の生活」を送っていて、
その気になれば大学院に入り直すなどしていわゆる「まともな仕事」につくことが可能だ。
というかそもそも、フリーターのような生活をしながらもその場その場でそれなりの
給料を受け取っているので最低賃金のアルバイトとは少し訳が違う。

一方今の日本に目をやると、卒業前の大学生の就職内定率が70%を切る超氷河期、と
連日ネットニュースの見出しは大騒ぎ。それと同時に「内向きな若者」(大人は
内向きではないのか、と聞きたくなる)や「優秀な留学生に職を取られる日本人学生」など
日本の若者に関する明るいニュースをほとんど聞かない。日本全体が閉塞感に
満ちているのは事実だと思う。

北米と日本はあまりに歴史的、文化的、社会的コンテクストが違いすぎるので単純な
比較は避けなければいけないが、この2つの国(カナダとアメリカは北米、という括りを
していいほどほぼ社会的コンテクストは同じ)の「若者像」を比較してみて日本に
決定的に足りないと思うのは

リスクをとることに対する許容度とそのインフラ、システム

だと思う。

システムと文化は卵と鶏のようなものでどちらが先か分からないが
(あ、ちなみに全然関係ないですが「鶏が先だ」という科学的結論に最近達したみたいですね 笑)
システム的な問題だと思われるものを挙げてみると

(1) 再チャレンジの場の少なさ(大人もスキルを磨ける教育的場)
(2) 人材流動性の低さ(転職市場のなさ)
(3) 「フリーター」と「ばりばりキャリア」の間の中間的な働き方の欠乏
(4) 大学卒業前に人生を選ばなければいけない(新卒一括採用システム)

どれも密接に関っているので項目として分解していいものかがそもそも怪しいが
特に(2)~(4)は日本の雇用形態に関るもので、今後やはり何かしらの形で変わって
いかなければいけないと思う。最近ようやく色々な形で変化が起きているが、
新卒一括採用システムの見直しはマストだと思う。卒業までに正規職員の職が見つから
なければ人生どん底。それを避けるために親に1年分の学費を工面してもらって就職浪人
をする。どれも日本にしか見られない異常なほどの新卒採用主義の弊害だと思う。

ただ、今起こっている採用時期の遅らせや卒後3年まで新卒とみなす、というような対策は
根本的な解決にはならないのではないか、と僕は個人的に思う。

留学する若者が減っているのも、就活生の大手安定志向もある意味システムに
よる当然の帰結のような気さえする。普通に考えればこれだけグローバル人材が
必要だとか、社内英語公用語化をするだとか言っていれば留学してこれらのスキルを
身に着けて帰ってきてやろう!という人が増えるべきじゃないか。しかもいよいよ
国債格下げを食らい、GDPでは中国に抜かれ、国際社会では無視され、という
トレンドも考慮に入れれば「このまま日本にいちゃまずい」と国外逃亡を考える人が
もっといてもおかしくない。自宅が火事ならばまずは逃げることを考えるのが人間心理
ではないか。それなのに現状を見ればその逆で、日本人は日本にしがみ付く。
そういう「リスク」を取ることのベネフィットと失敗した時のコストを比較すると
失敗した時のコストが大きすぎて踏み切れない。その原因はやはり上記で挙げたような
再チャレンジの場の無さや大学卒後にすぐ固定されてしまう雇用システムにあるのではないか。

誤解を招かないように言っておくと、僕は日本大好きです(笑)
日本人が日本にしがみつくのは単に日本ほど便利で居心地の良い国が他に見当たらない
からであるのも事実の1つだと思うし、僕が日本に帰って仕事をするのも、日本の良い点を
どんどん世界に発信し、世界の良い点をどんどん日本に持ち込むべきだと思っている
からで、その橋渡しになれればいいと思っているから。

ただ、客観的にこうして外国から日本を見ているとどうしてもこのままでは
ネガティブサイクルに陥るのではないかと不安に思う。


都市「計画」学部にいてもたまに疑問に思うのですが「計画」っていうのは
(当然ですが)現時点の持ち合わせの知識や知り得る範囲内のことしか考慮に入れる
ことができない。だから、計画当初に考えなかったようなことが起こった場合や
もっと良いプランを発見した場合はその都度修正ができるような柔軟性が組み込まれて
いることがかなり重要。実際の都市計画の書類などを見ていてもそういう但し書きは
至る所に見られる(rezoningなど)。

人生も基本的に一緒で、ある程度の計画は必要だけど、計画当初に知り得なかった
ような興味や関心に出くわすようなチャンスと、それを取るリスクは社会がある程度
許容するべきだし、人材の適材適所という観点からもむしろ歓迎されるべきだと思う。
仕事ってやってみないと分からないことばかりなので、驚くべきところに自分の興味や
適正がある場合なんてたくさんあるんじゃないかと思う。

そういうことを発見するための時間や旅、回り道をたくさんしてきたんだな、と
餃子を包むTさんの話を聞きながら思ったのでした。