2010/09/25

チャイナタウンへ

アーバンデザインの授業でチャイナタウンのモデルを作っているので、
実際の現場偵察 兼 1年生のカメラ好きのレバノン人の友達と撮影散歩に行ってきた。
久しぶりの写真撮影。

自分が模型を作った建物を実際に見るのは楽しい。
どの建物がどの高さ、というのも模型作りの段階でもちろん考慮に入れているので
「あのビルは24メートルだったよね」なんて言いながら歩いた。
歩いててほとんどの建物の高さが結構正確に分かるって一種の職業病だな(笑)

チャイナタウンがある一画はDowntown Eastsideと呼ばれるバンクーバーで
最も危険なエリアと隣接している。昼間歩くだけでも麻薬常習者がウロウロしていて
ちょっと怖い。












何故かイグアナを連れているおっさんがいた。

都市計画っぽい授業

今学期から初めてようやく都市計画学科らしい授業を取り始めた。
アーバンデザインのクラス。今年はチャイナタウンがテーマで、まずは現在の街のモデルを
作り、それが完成したらチームごとに少しずつ変更を加えていく。
想定は20年間で起こる変化。

他の授業に比べて圧倒的に具体的だし実用的なので面白い。
ただ、長時間紙を切ったり貼ったりして建物を作っていたので結構疲れた。



秋の訪れ

バンクーバーは早くも紅葉が散っているところがある。
シトシト雨が続き、今年は秋の訪れが早い気がする。



2010/09/24

自分は恩恵を受けない建物

我がSCARPが入る建物は、施設の充実度という意味ではUBCの中で最下位レベルに
ランクインすると思う。学生の間では通称「モーテル」とか「プレハブ小屋」などと
呼ばれている。60年前に学科が設立されて以降、ずっと「暫定的な」建物から動いていない。

学部時代の農学部の建物もかなり古かった(在学中に改修されたが)けど、あれはあれで
歴史的建造物として価値があるものだったが、現在の建物は「カッコワルい」古さなのだ。

これではさすがにちょっといかん!ということで昨年から本格的に新しい施設を
建設するプロジェクトが始動した。新しい建物には都市計画と分野的に非常に近い
建築・造園学科(SALA)も一緒に入ることになる。今まで交流が無かったが、実際の
仕事現場では関わりの多い分野同士だから、学生時代からお互いがどういうことを
やっているのかを知る価値は十分ある。

今日は、夕方からこの建物をデザインする建築ファームのコンペ・プレゼンのような
ものに行ってきた。数多くの候補者から既に4チームに絞ってあり、今日はそのうち2チームが
構想を発表し、それを学生と教授陣が評価する。(といっても最終決定権は専門の委員会にある)
残りの2チームは来週の木曜日に同じようにプレゼンをすることになっている。

予想以上に学生からの関心が高く、建築・造園・都市計画合わせて優に200人くらいは
見に来ていた。プレゼン会場から溢れ出た人達(自分含む)は別室でライブ中継映像を
見させられたほどだった。

2チームとも国際的に名の知れたチームで、チーム構成的には建築ファームとランドスケープ
アーキテクチャファーム(造園)が1社ずつ入るセットになっていることが多い。
大体どのチームも過去の作品の自慢大会になるので、色々な綺麗な建物を見ることが出来る。
ニューヨークタイムズビル(レンツォ・ピアノのデザイン)の造園をしたとことか、
イエール大学の新しい環境スクールのゼロ・エミッションビルを建てたファームとか、
かなり面白い作品が次々に登場して、見ていて楽しかった。
しかし、彼らはこういうプレゼンしょっちゅうしてるはずなのに、かなり
緊張してガチガチだった。恐らく、建築家の卵とはいえ事情を熟知している人達の前で
プレゼンするのはかなりのプレッシャーだったんだろう(笑)

しかしこのプレゼン、自分は根本的に勘違いしていたのだが、実際に建てようとしている
建物のモデルなどはほとんど提案されない。むしろそのチームの空間デザインに対する
哲学や理念、コンセプト的なものがほとんどで、それに共感をしてもらうことが目的だった。
過去のプロジェクトの披露は、そういう哲学が実際にどう建物に反映されているかを
見せるために使われる。
まあよく考えれば、まだ彼らは仕事を受注した訳ではないので大掛かりなモデルを作ったり
デザインしたりするのに時間・お金を割けないのだろう。

建築物たるものは人と空間の関わりにおいてどのような役割を果たすべきか、みたいな
哲学的な話ややたらポエティックな表現が多かったのでちょっと拍子抜けした。
けど、自分の知り合いの範囲で考えても建築家目指す人って哲学チックな話が大好きな人多い。

でも今日のプレゼンを見て、「あ、建築家ってそういう職業なのか」と妙に納得した。
物理的な空間にどうやって概念的な物を表現するかってひたすら考えてるんだもんな。

2010/09/18

リオ+20

前エントリに関連して、O'Riordan教授が「2012年のリオ+20が節目だ」と
言っていた。リオ、とは1992年リオ・デジャネイロで開かれた「環境と開発に関する
国際連合会議」、通称「地球サミット」のこと。サステナビリティ、という言葉が
普及するきっかけともなった象徴的な国際会議として環境の分野では有名。

あれから20年、という意味でRio+20なんだそうだ。

当時、リオに出席していた政府高官などの度胆を抜く「伝説のスピーチ」をした少女、
セヴァン・スズキはバンクーバー出身でカナダを代表する日系の環境活動家、デビッド・スズキの娘だ。
少女、と言っても今ではもちろん立派な大人で、お父さんと同じように本人も環境啓発を行う重要な人物だ。

改めて当時のスピーチを録画した動画を見てみたら、鳥肌が立った。
特定の団体や思想や利益を代表していない、子供だからこそ言えるど真ん中直球
ストレートな言葉。
(オヤジに言わされた、とシニカルに見ることもできますが・・・)



あれから20年経った世界をセヴァンさんはどう見るのか。
何か変わったのか。

将来のことは色々不安もあるけど、後世がふり返った時人類存続の節目となっていた
かもしれない、ある意味で物凄くエキサイティングな時代に生きているなあ、と思う。

気に入った言葉

昨日、サステナビリティとガバナンスの第一回目の授業にゲストとして来てくださった
UKのイースト・アングリア大学(気候変動、環境科学の分野で世界トップレベルの研究機関。
コペンハーゲンCOP15直前の所謂クライメイトゲート事件で(不名誉だが)一般にもその名が知れ渡った)
環境学部のO'Riordan教授の言葉が印象に残ったので書きとめる。

あなたに会った人が、あなたに会わなければ行わなかった事を
明日から行うようになったら、世界は一歩「チェンジ」に近付く。

グラスルーツの力を甘く見ちゃいけないよ。

地球規模的なマインドシフトが必要な問題に対して個人が出来る事って
あまりに小さいにように思ってしまう。みんながやればいいんだけど、
みんなやらないなら自分もやる意味がない。ってなんかちょっと経済学の
ゲーム理論みたいだ。

だけど、こういうシンプルで心に響く言葉を覚えておくだけで、少し取っ付きやすくなる気がする。

他の人の見習いたい点を自分でも実行に移し、他の人にも同じように思って
もらえるようにしたい。説得してやらせるのではなく、自然に、というのが理想。

2010/09/17

カナダ人とメキシコ人と鍋を囲む

数週間前に引っ越しを手伝ってくれたクラスメートのカナダ人の女性への
お礼としてベジタリアン鍋を振る舞った。
ついでに前から「ナベを食わせろ」とウルサいゲイのメキシコ人のクラスメートも呼んだ。

鍋、胡瓜の浅漬け→〆の雑炊→お茶と羊羹、というそこらの日本食屋じゃ
出してくれないぜ、というメニューを揃えたが、どれも美味しい美味しいと言いながら完食してくれた。
この夏から色々な外国人に色々な日本食を振る舞ってきたが、やはり結構ユニバーサルにウケる味なんだな。

「毎回こんなお礼をくれるなら何時でも引っ越し手伝うよ」と言って貰えたが、
生憎もう来年の夏まで引っ越しはしません。

「日本では米粒を1つ残らず食べなきゃダメなんだろ?」という少し日本通なメキシカンの
友達の発言を発端に物を大事にする日本文化の話に。しかし最近は残飯の量が
世界の中でもかなり多い国になってしまった、という話をする。そこから更に日本の首相は
なんでこんなにコロコロ変わるんだ、という話になり、近年荒れまくりのメキシコ麻薬
カルテルの話になり、アンデスで採れるコカインの種類の違いの話にまで飛びまくる。
2人とも国際ニュースに精通していて話していて楽しい。

特にカナダ人女性のクラスメートはだいぶ年上(30代中盤)なのもあるが、
世界史や文化にかなり詳しくてとても教養がある。
もうちょっと僕も見習いたいものだ。

2010/09/16

指導教官と会う

この秋から本格的に修士論文の執筆に取り掛かる。
今まではProgram Adviserという、カリキュラム全体について助言をくれる教授に
ついていたが、これからは論文の内容を指導してくれるのに最適なThesis Adviser
を選ばなければならない。僕はフットプリント関連の論文を書いているので、
指導教官はもちろん1人しかいない - そもそもフットプリントを提唱した張本人であるリース教授だ。

今日、初めて教授と論文について軽い打合せをしてきた。
夏にインターンで始めた研究の概要を説明して進捗状況を報告。その調子で良いだろう、
というOKをとりあえず頂いた。次来るときは「何故この論文を書くのか」という
Problem StatementとPurposeを10~15ページくらい書いて持ってこい、ということだった。
「1日500ワードでいいから少しずつ論文を書いていきなさい。残ってるコースワーク
もそこまで多そうじゃないし、順調に行けば春までに終わるよ。さっさと書いて
早く卒業しな。」と言われた(笑)
でも友達にこれを話して、よく考えれば500ワードって2ページくらい。このペースで
書いたら僕の修論は一体何ページになるんですか?(笑)
ま、適当に言った数字だろうけど。

「他の指導教官は『先行研究』というセクションを個別で設けろ、というかも
しれないが、僕はその意義が前からよく分からない。Problem StatementとConclusion
という、自分の研究を大きなコンテクストの中に入れる必要があるセクションで随時
引用すればいいのであって、特別に文献を羅列するセクションはいらない。無駄。」
と言われたのがちょっと新鮮だった。オーソドックスではないかもしれないけど、
なるほど、と思った。構成については決まったフォーマット等、大学側の指導も
あるので、そのワークショップにも出てみて考えよう。

PhD Comic、というドクターの人達の可愛そうな生活を皮肉るマンガサイトがある。
自分は博士課程じゃないけど、確かに!と分かる物が結構ある。

例えばこれなんか・・・

メールを一本書くのに要する平均時間:教授1.3秒、学生1.3日

I was wondering perhaps you might have possibly gotten the chance to
potentially find the time to maybe...って学生のメールの内容がかなりウケる(笑)
(日本語にすると「もし、少しでもお時間を割いて頂ける可能性がおありかも
しれないのではないかと思っておりまして・・・」という感じ)

これはさすがにかなり脚色してあるけど、確かに教授と学生ってパワー関係では圧倒的に学生が劣るよなあ。
こちらは日本程じゃないけど、このマンガがウケるってことはこっちでも状況は似てるんだろうな。

うちの先生は大御所といえば大御所だし、人当たりが凄く良いとは言えないけど割とフランクなのでその点は少し安心。


他にも横軸に時間、縦軸にやる気(ambition)をとったグラフなんかも面白い。

シューカツのシーズン

みんな同じリクルートスーツを着て説明会へ出向き、社員が一言発する度に
みんな同じタイミングで頷いて熱心にメモを取る。

僕が海外大学院に来たのは、このような日本の「シューカツ」に嫌気がさして
逃げてきた、という理由も少しだけある。

もちろん大学院で勉強したいことがあったし、やる気も十分だったが、空前の売り手
市場がどうのこうのという文言が新聞の一面を賑わしていた2008年春に「あっそ」と
完全に就職という選択肢に背を向けるほど自分に自信がなかった。
「ここで就職を逃したら後悔するんじゃないか・・・」という意識が嫌でも脳裏を
よぎるのだ。しかし、上記のような(気持ち悪い)光景が最後の一押しになり、
これからシューカツ本番、という2月くらいに就職戦線からオサラバして大学三年生の
春休みを満喫しに海外旅行に出かけたのだ。

あれから二年、再びその季節がやってきてしまいました。

来月、世界中に散らばる日本人留学生が一同に介する就職イベント、
ボストンキャリアフォーラムが、文字通りアメリカのボストンで開催される。
その週末だけはボストンがリクルートスーツの日本人で埋めつくされる、
という想像するだけで恐ろしいイベントですが、僕、行くことにしました。

気持ち悪い、とか言っておきながら手の平返したような態度です(笑)

でも、100数十社がわざわざ海外に日英バイリンガルを採りに来る、というのは
ちょっと見逃せないチャンス。ましてや英語の出来る人材に対する需要が最近
ますます伸びてきているとなると様子見に行かないと、と思った訳です。

2年前よりはやりたいこと、将来のビジョンの輪郭がはっきりしてきたせいか
(してないとマズイですが・・・)意外とエントリーシートなどが苦なく書ける。
今思えば2年前は「へ、シューカツなんて」とバカにしつつ結局は自分の中で働く
準備が全く出来てなかったのだと分かった。その程度なら当時適当に企業を受けていても
どうせ受かってなかっただろう。

マスターはモラトリアムで行っちゃう人が多い、というが、海外大学院で
じっくり勉強しながら色々な国の人と交流し、学外の活動にも積極的に参加し、
キャリア形成には色んなパターン・可能性があっていいんだ、ということを学ぶのは
結構大事ではないかと思った。というか、そもそも日本の学部生の「シューカツ」は
専門すらあまり定まっていない大学三年生が行うものだが、それはやっぱりいくら
なんでも早すぎる。せめて大学四年生の終わりくらいに行うべきだ。

今回のフォーラム経由で内定を取れればだいぶ気は楽だし、今後の計画を立て易いが、
あまり「これしかないんだ」と硬くならずにあくまでも「1つのキャリアプラン」という
気持ちで挑みたい。結局相手あってのことなのでこっちがいくら入りたくても
採ってくれるかなんて全く分からないので最後は「縁」。できるだけ素で、但しちゃんと
練習して、晩秋のボストンに乗りこんできます。
ちゃっかり1日くらい観光日を設けたのでハーバードやMITを見てこよう。

2010/09/13

今期の時間割

最近完全に留学記ではなく遊学記と化しているので
久しぶりに学校関係のことを書いてみる。

今期の時間割(予定)

1.PLAN513 Economic and other Quantitative Methods (3)
月曜日18:30-21:30


産業連関分析、フルコストアカウンティング、人口分析、不動産開発経済学
などなど、都市計画で使う定量的手法を悪く言えば広く浅く学んで行く授業。
修士論文で産業連関を使うので役に立つかも、と思って取ってみた。
教授はadjunct(非常勤)で、PWCでのコンサルタントを経てバンクーバー近郊、
ポートムーディー市の元都市計画長を経験した人。
実社会への応用、という視点が得られることを期待。

2.PLAN548L Theory and Methods of Urban Design (3)
火曜日14:00-17:30


都市計画学科を出ておいてアーバンデザインを全くやってないのは恥ずかしい!
ということで芸術的センスの欠如を日本人お得意の手先の器用さで補い、モデル作りに
挑みます。紙を切ったり貼ったりして手を動かすスタジオ授業なので楽しみ。

3.PLAN548F Sustainability, Planning and Governance Approach to Whole Region Governance (3)
水曜日14:00-17:00


今後おそらく重要性が増すであろう、地域計画、地域ガバナンスに関する授業。
ポートランド留学時代から複数の都市をまたぐRegional Planningには興味を
持っていた。但し、教えるのがおじいちゃん先生だというので少し心配。
最初の授業に行ってみて、考えよう。

4.Directed Studies (3)

講義に出席するのではなく自習の成果を提出して単位認定してもらうシステム。何でもアリ。
修士論文の先行研究調査のために利用しようと思っている。

5.LARC535 GIS Workshop (1)

これも直接論文などで使う予定は今のところないが、都市計画学科卒としては
囓っておきたいハードスキル、GIS。
Geographical Information System(地理情報システム)はコンピュータを使って
様々な情報を地図上に落としていけるプログラム。
Landscape Architecture(造園学科)を通じて提供されている授業。

新居

今日は授業初日。まだ頭は休みモードなのでいまいち学期が始まった
実感がないが、今期もしまっていこー。

そういえば、引っ越しました。
キャンパス中心に近くなり、部屋も広くなり、自分だけの大きなキッチンがある。
共用スペースにはビリヤード台、卓球台、ジム、かなりお洒落なレストランまである。
かなり居心地良し、です。

家賃もほんの少しですが安くなりました。
ここが安い、というよりは前の場所がボッタクリだったという方が正確かもしれない。

前回の場所に引き続き日本の方に写真を見せると「これが寮!?」と驚かれる綺麗さ。
特に学部時代の友達は、「寮」という言葉を聞くと反射的に母校の悪名高き某寮を思い
浮かべる。何度も言いますが、比較してはいけません!
そもそもあちらは家賃1万円を切る世界。払っている額が全然違います。

これからは「寮」というより「キャンパスにあるアパート」と言った方がいいかな。



2010/09/09

フェイク


こんなプレー、USオープンの本番でやってみたいぜ。

2010/09/07

鮭を食べよう

現在、バンクーバー近郊フレーザー川のSockeye Salmon(ベニザケ)漁が歴史上
稀に見る大豊漁に恵まれている。3000万匹を超える鮭が戻ってきており、これは
3900万匹が遡上した1913年以来の数らしい。

鮭、特にSockeyeはこの地域の環境保護のシンボルになっている。
ここ数年、その遡上量が激減し、4年ほど禁漁になっていたほどだ。
昨年は予想していた10分の1、およそ150万匹程しか遡上しなかったので
この地域のSockeye漁は崩壊した、とまで言われていた。そんな中での豊漁、である。


供給が一気に増えたので値段が下がる。このチャンスを逃すまい!
という訳でスーパーに行って来ました。魚コーナーに直行。並んでます、並んでます。
大きなフィレが$15(1200円くらい)で手に入った。
そもそも去年は養殖か輸入しかなかったが、この大きさなら通常$20-30くらいするので
半分くらいの値段だ。それでも、漁港に直接出向いて漁師から買うと更に安いらしい。

家に帰ってすぐに適当な大きさに切って、一部を塩鮭に、一部を冷凍にした。
今日はニンニク醤油とみりんを入れたタレでmarinadeして頂いた。

これからしばらく鮭祭りが続きます。



2010/09/02

オーバーシュート

メルマガ登録している日経ECO JAPANの記事にもGFN関連の記事が
あったのでそのまま引用します。(→元の記事

足達英一朗 サステナブルな視点
自然がもたらす賦課量が赤字に転じた日

8月21日は、「自然がもたらす賦課量が赤字に転じた」節目の日となったという。
米国カリフォルニア州にある環境調査機関「グローバル・フットプリント・ネットワーク(Global Footprint Network)」が発表した。

彼らは、地球が毎年再生産できる資源の量を、自然がもたらす賦課量として算出し、
一方で人類が毎日消費していく資源と二酸化炭素を吸収するのに必要となる生物資源を
人間生活の需要量として算出して、比較を行っている。2010年は、1年間の賦課量を、
8月21日までの需要量で既に使い尽くしてしまったというわけである。
本来、一年分のはずの予算を9カ月足らずで使ってしまったという計算だ。

地球1個では足りない生活をしている

消費する食物や繊維を生産し、エネルギー消費から生じる廃物を吸収し、インフラ設備を
建設するために必要とされる土地の総面積は「エコロジカル・フットプリント」と呼ばれる。
これは個人単位でも、自治体単位でも、国単位でも、地球単位でも算出できるが、これを
世界の自然の資源再生能力と比較することで、すでに人類全体として見ても地球の生産能力を
超えた生活(地球1個では足りない生活)をしていることがわかっている。
ちなみに、過去「エコロジカル・フットプリント」は、世界の人々が日本人と同じ水準の
生活を始めたとすると、地球が2.4個必要になり、米国人のような暮らしでは5.3個にも
なるとよく表現されてきた。

「グローバル・フットプリント・ネットワーク」の計算は、これを「地球があと何個足りない」
というのではなく「1年間のうち何日分が足りない」というかたちで表現したものにほか
ならない。それにしても、この歳入と歳出のギャップ拡大のスピードには驚かされる。

赤字が始まったのは、そこそこ30年前ほど前のことだ。それが「自然がもたらす賦課量が
赤字に転じる」節目の日は、どんどん早くなり、2009年は9月 25日だった。それが今年は
計算精度の向上という理由もあるが、更に1ヵ月以上早くなった。また、人間生活の需要量の
うち、最も大きいのは温室効果ガスを吸収するのに必要となる生物資源で全体の半分以上を
占めるという。実際にはこの需要量が賄えないから、大気中の二酸化炭素濃度が上昇していく。

この団体のホームページには、個人のカーボンフットプリントを簡単に算出できるページ
があって興味深い。

それによれば、肉、魚、卵、牛乳、乳製品の消費はフットプリントを大きくし、国産品より
輸入品に依存していれば数値はより大きくなる。衣類、家具、電気製品の購入も
フットプリントの拡大要因だ。広い家に住んで、より多くの電気、ガスを使用すれば、
フットプリントを増大させる。自動車や飛行機の利用も同様だ。

一見ツケがきくから話は厄介になる

この発表を目にして、「日本の財政赤字と似ている」ことに気づく。赤字だといっても、
確かにすぐにカタストロフィーに見舞われるわけではない。「財政の赤字」も
「自然がもたらす賦課量の赤字」もツケを後世に先送りしているだけだ。
それでもどこかで、日々の暮らしを切り詰めざるを得なくなるときが来る。

ツケがきくことで最も厄介なのは、赤字を是正しようとしても、経済への悪影響を
懸念する声が一気に高まり、「赤字の是正」を全面に掲げる論調がタブーとして
封印されしまう点だ。

その結果、選択肢は狭まる。あるいは「皆で進めば怖くない」と開き直るしかなくなる。
特に景気が底割れしそうな状況下で、耳障りのよい環境・エネルギー分野の新成長戦略や
海外インフラ輸出戦略に注目が集まるのは当然のことだろう。
それに水を差すつもりは決してないが、それでも「自然がもたらす賦課量をいかに
大きくできるのか」「人間のフットプリントをいかに小さくできるのか」を足下で
見直していく作業を、決してないがしろにしてはならないと思う。

ちなみに、2006年の数字を用い、日本の国土だけを取り出して「自然がもたらす賦課量が
赤字に転じる」時期を試算してみると、本来1年分のはずの予算が2月いっぱいも持たない。
すなわち、ほかの国に肩代わりしてもらい、さらに過去のストックを取り崩して、帳尻を
合わせている姿が、そこから浮かび上がる。

2010/09/01

ポストGDPを考える時期

少し古い話題(といっても数週間前)ですが、中国のGDPが日本のGDPを
上回ったことがニュースに取り上げられた。

正直、人口が10倍以上の国に何故今まで抜かれてなかったのかが不思議な
くらいだったので驚きはしなかった。ただ、この事実に対して日本がどう
対応するか、というのは今後の国の行く末を左右する結構大事な点だと思う。

考えられるアプローチとしては:

(1)GDPという指標にこだわり、経済成長を推しすすめる方向性。

総額では今後更に成長を続ける中国に対して勝ち目は一切無いので、
恐らくper capitaの議論に持っていくのではないかと思う。1人当たりGDPでは
まだ日本は中国の約10倍の値だ。ただ、per capitaでも日本は概ね世界23-24位
くらいに留まっているので、誇れる数値とは言い難い。

ちなみにper capitaも純粋に頭割りにした平均値に過ぎないので、その国の
格差構造などは隠蔽され、国全体の豊かさ、という意味では正確な数値とは言い難い。
不平等の程度を表すジニ係数なども同時に見る必要がある。

(2)GDPという不完全な指標を見直す好期と捉える方向性。

昔からGDPは不完全な指標だと指摘され続けてきている。
例えばブータンなんかはGNH(Gross National Happiness:国民総幸福度)という
独自の指標を使って豊かさを測ろうとしていることは有名。
その他にも自然資本のストック、経済格差、社会保障、などを豊かさの指標に
組み込むことが提唱されている。エコロジカル・フットプリントもまさにこの
文脈の中に位置するもので、自然資本の量を計測することで豊かさの指標を
補おうとするものだ。
世界が「持続可能な発展」の方向に流れ始めている今、GDPに代わる
もっと包括的な指標を世界に先がけて採用することはちょうど中国にGDPを
抜かれた日本にとって採るべき戦略だと思う。

ちなみにGDPの不完全さについては日頃読ませて頂いているla dolce vitaさんの
ブログ(→世界級ライフスタイルのつくり方)にとても分かりやすい記事が載っている
(→「幸福度をGDP算出に」

この記事の中で特に印象的なのは、GDPを押し上げる要因と押し下げる要因の箇所。
以下に引用。

例えば、次のような現象はすべてGDPを押し上げる要因になります。

- 刑務所の囚人の数が多い(刑務所を維持・運営する支出が多い)
- 訴訟が多い(巨額の弁護士費用がかかる)
- 車社会である(ガソリン消費量が多い)
- 産油国である
- 肥満に起因する医療費が多い
- 公的医療がなく、民間の医療費・保険支出が多い
- etc....

こうやってあげると、すべてある国を指しているような気がしてきますが・・・(笑)

そして、次のような現象はGDPを押し下げる要因になります。

- 家・インテリアをDIYする人が多い(住宅・リフォーム支出が減る)
- 公教育が行き届いており、教育費支出が少ない
- 食料を自給自足する人が多い
- バカンスは友人同士で家を交換することが多い

確かに1人あたりGDPが高い = 豊かな社会、とは言いがたい。


現在はGDPの高い国=お金持ちの国=国際社会で権力のある国、という構図が
出来上がっているので、どうしてもGDPというのは気になる指標だ。
しかし、上記のように、台頭してくる人口の多い途上国に対して日本はGDPという
土俵では今後あまり勝てないことが予想される。それならば論点をずらして、
ポストGDP主義への舵取りをここで一気に取るべきなんじゃないだろうか。

その1つの可能性として、エコロジカル・フットプリントは環境、という面から
ある程度国際間で比較可能かつ包括的なものを提供しうると思う。
先日、WWFジャパンと僕のインターン先のGFNが共同で執筆した
エコロジカル・フットプリント・レポート」が発表された(→日経記事
ここにもGDP偏重主義から脱することを提案するセクションがある。

ちなみにこのレポートの和訳は僕が結構担当しました。
ので、ヒマな人は読んでみてください(笑)グラフィックも結構凝っていて
綺麗だと思います。

少しでも自分が貢献した仕事がこうやって世に発表されるのは嬉しいことです。

追記

ちなみに、Redefining ProgressというNPOも、その名の通りGDPに変わる
指標を提唱する有名な団体です。