2010/03/12

ポリティカル・コレクトネス

先に書いたインタビューの冒頭で、人によってはNGワードである
disabled peopleという言葉を使ってしまい、disa,..くらいまで言った
時点で「ヤッベー!」と思ったが、そこで言い直すと余計不自然なので
そのまま言った。参加者の人達は全然意識してなかったようなのでセーフ。
(ちなみに、最もニュートラルな言い方はpeople with disabilities。
日本語にするとどちらも「障害者」だが、ニュアンスが異なる)

日本でも差別用語に対して最近はかなり敏感になってきていますが、
人種のるつぼである北米ではマイノリティに対して偏見のない呼称を
使うことに非常に敏感。これをpolitical correctnessと言う言い方を
するが、インテリの多い地域ほど異常なほど気にする人がいる。

特に日本人は先住民の人をついインディアンと呼んでしまうことがあると思うが
これもNGワード。アメリカではNative American、カナダではFirst Nationsが正しい。
ちなみに先住民でも特に北の人達に関してはアラスカではエスキモー、カナダでは
イヌイットが「正しい」(らしい)。

他にも、特にアメリカでは黒人のことをBlack peopleと言うよりはAfrican American
と言った方がニュアンス的には柔らかい。

呼称に限らず、会話の節々で気を付けることは多くある。
下手にある国のステレオタイプを強調しすぎていないか、とかそれを笑いのネタに使う
としても度を過ぎてないか、とか結構気にすることが多いpolitical correctness。
特にパブリックセクターで働く意志のあるような人や左寄りな集団(うちは結構その傾向)
では顕著。

気にしすぎるのも逆に意識しすぎの現れだし、細かく指摘しまくる人は結構ウザイ(笑)
ので、加減が難しいとこですが知ってて絶対損はしない。


これを含めてやはりこちらでは異なる価値観や人種がうまく共存していくため
の知恵とか意識っていうのが日本に比べて遥かに成熟しているなあ、と思う。
だから都市計画でも純粋に物理的な環境だけではなくソーシャルな側面への
力の入れようが凄い。

「違うこと」に対しての寛容さっていうのもかなり日本とは異なる。
違うことが当たり前の世界だから当然と言えば当然ですが。


かなり今更のことだけど今日再認識。

6 件のコメント:

elhi_k さんのコメント...

ちょっと違和感が。

「PC」いわゆるポリテカル・コレクトネスは、アメリカ史の文脈では、1940年代にアメリカの社会党員が、「政治的に正しい」という表現を好んで使う共産党員を批判するために逆にかれらを嘲笑する意味で用いていたものなので(21世紀は大きく意味もずれたでしょうが)、とりあえず今でも揶揄の意味もあると思います。

障害者を日本では「障がい者」と表記するのが流行りだし、私は中学生くらいの時は「障害を持った人々」と柔らかながら今思うと距離をおくような呼称を善としてました。英語ではdifferently abledという表現もあるらしい。でもそうなるとペットをnon-human animal companionといったり、uneducatedをalterrnatively schoolといったりするらしい。ここまでくると笑える。

私は政治家のポスターでやたら名前をひらがな表記したがる人が最近多いのも、揶揄されかねない一種のPCと見てる。

PCは別称(蔑称)「言葉狩り」ですから、私も得意なんだけど、無意識なインテリになってしまうことは気をつけようと思う。

elhi_k さんのコメント...

先住民についてですが、「インディアン」という言葉を素朴に使うのも危険ですが、
「かれらはネイティヴ・アメリカンだよ」(ネイティヴ・カナディアンとは言わないの?)と善意で注意するのはもっと質が悪い。yuさんは一般的な言い回しについて紹介しただけなのだとは思うけど。
前自分のブログに書いたけど、白人の侵略について1960年代以降訴訟を行なっていく過程においては、諸部族は連帯のために敢えて「インディアン」と自称しました。

「インディアン」はコロンブスの誤りだったかもしれないけれど、例えば世界史の章の名前が「地理上の発見」(まさに新大陸!)から「大航海時代」にいつのまにか変わっていたり、これは私はまさに政治的には正しいかもしれないけれど、誰をかばっているのかよくわからないなぁという感じがする。

生肉を食べる「エスキモー」についても、最近はむしろ積極的に使ってこうという向きもあるよ。一部の人類学者は一生懸命そういう本を書いているし。

elhi_k さんのコメント...

完全にブログの荒らしになってるけど、
非先住民が自粛して「インディアン」を使わないのは変だと思います。

「アイヌ」が差別用語だとして人々が使わないようにしている時代があったそうですが、なんでアイヌ語で人間を意味する言葉が、遠慮されないといけないのか戸惑うだろうし、発端はどうであれ、インディアンはいまはかれらの呼称なのでは?カナダはまた文脈が違うのかもしれないけど、南米の「インディオ」はニュートラルでしょ?

あと、英語のスペルがアメリカ人並にひどいえりちゃんを許していただきたいのですが、indigenous peoplesという言い方もあるよね。
さっきのalternatively schooledも許して。

あーオリンピックのシンボルに付いても書きたかった。。

学問分野が違うから、批判が的はずしかもしれないけれど、人として言葉の遣い方に「気をつける」ってのと「自覚的である」ってのは紙一重で結構大切かなと思います。

説教くさ〜い

yk さんのコメント...

いやー、エキスパートからの
突っこみが来るとは思ってましたが
(期待していた)詳細なご意見
ありがとう。勉強になります。

確かに揶揄の意味は大いにあります。
そこを書いてなかったのは反省。
PCという言葉を使うときは大抵
みんな""マークを指で付けて
「いわゆる」というのを強調する
からね。でも確かに現代社会ではPC
という言葉が含む歴史的経緯はまあ
ひとまず置いておいて、権力関係が
最強化されかねない言葉遣いや蔑称
の改善、という概念自体は
いいことだよね、という風に思って
使う人が多いんじゃないかな。それを
他の名称で呼ぶのが面倒というか
PCという言葉がその概念を表現する
には最も多くの人が知ってるので""
付きではあるけど使う。

そんな印象です。

何がPCの一番嘲笑の対象になるか、
というか大切な部分が抜けてるな、
と思うかと言えば学者がつべこべ
言って複雑な話にしていて、結局
肝心の本人達がどう呼ばれてcomfortableであるかという単純な
事があまり伝わってない。
インディアンにしても本当は彼ら的
にはインディアンと呼ばれることを
気にしてないのかもしれないし、
むしろ色々議論されまくってることに
うんざりしてるのかもしれないけど、
少なくとも今の社会でIndianという言葉を使ったらちょっと浮いてしまう。

differently abledも出てきたけど、
それは「障害者」の人達曰くちょっと
行きすぎ(まさに距離を置きすぎ)
らしく、people with disabilityは
ひねりがなくてストレートで
いいらしい。これは本人達から
聞いた話。

alterrnatively schooledは聞いたこと
あるけどnon-human animal companion
って笑えるね(笑)
他にも色々自分で作って茶化せるわ。
homelessだってalternatively
housed/dwelledとも言えるし、
やればやるほど完全にバカにしてる
ように聞こえるよね(笑)

Native Canadianは昔はそう言ってた
こともあるらしいし、indigenous
も使うけど、彼らはFirst Nations
という呼ばれ方をしたい、と主張
しているらしいので、じゃあそう
しましょ、ってことらしい。

まあ本来シンプルな話をややこしく
してる感は大いに否めません。

僕はPC=差別是正で、常識の範囲で
本人が気分が悪くならないような
言葉づかいや振る舞いをすることって
くらいに軽く考えています。

yk さんのコメント...

あ、あと書き忘れたのが、
PCを文字通りの意味で使うと
「誰の機嫌も損なわない立ち振舞」
っていう利己的な動機が見え隠れ
するのでシニカルに見られるよね。

""付きで単純にフェアであるために、
って感じで使う場合にはそういう
いやらしいニュアンスは多少軽減
されると思いました。

アホウドリの名前がオキノタユウに
なるとかいう話も思いだして
しまった。
コオキノタユウとかクロアシオキノ
タユウとかめっちゃ言いにくい。
その後その話はどうなったのか
追ってないなあ。

elhi_k さんのコメント...

丁寧なコメント有難う。

書き込んでからブログを読み返して、結構的外れにつらつら書いてしまったなーと反省しました。恥ずかしい。

「いわゆる」""のピースを倒すあの仕草、伝染らないようにしたい。なんとなく。

First Nationsを好むのか〜。ま、nationってすごく訳が難しいよね。派生語も含めて、「ナショナル」とか「ネイション」として逃げてしまうけどほんとは日本語にしたい。「国家」は完全に誤訳だとは思うけど。。

差別用語を自粛するPCを笑いつつも、言葉は大切ですよね。そして公の場では、やはり政治的に正しい言葉を使いたいよね。
自己の保身もあるけど、何より一緒に時間を過ごす相手を傷つけないために。でも本当は、PCの対象になる人々に、例えばpeople with disabilityに、「どうやって呼ばれたい?」と率直に聞けることこそ素晴らしい。インタビューは嬉しい経験ですね。

アホウドリの話は知らなかった(鳥オタクじゃないから焦らないけど)。でも動物や場所の名前とかって急に変わったりするものはたいがい政治的よね。

差別是正の意味も否めない。とくに小学校や中学校の「無垢な」子ども達には、気づかせてあげられる先生が付いてほしい。
言語論的転回ナメちゃいけないね。ソシュールなんて当分読めないけどさっ。