2010/08/03

米国の組織文化

インターンもいよいよあと二週間少しを残すところまで来てしまった。
時間が経つのが早すぎる。

インターンの内容とは別に、こちらの組織で働いてみて感じたことを
忘れないうちに少しメモっておこう。非営利で研究主体の小規模の組織なので
あまり代表的な例とは言えないかもしれないが、出来るだけ一般化した形で。

1.分業、適材適所

北米の採用文化がそもそも日本のような新卒一括やローテーションを基本とした
総合職採用、という形で無いので当たり前かもしれないが、それぞれの
ポジションの役割がはっきりしていて、それに適した人材がそこにいる。

研究担当は研究者やアカデミアの人間、広報担当は元ジャーナリスト、
オペレーションや会計は元大企業のファイナンス出身、という風に。
組織内の分業がきっちりしていて、「何でも屋さん」みたいな人があまりいない。
それに応じてか、個々人のキャラも適材適所。研究者の人達は冷静でもの静かな
タイプが多く、オペレーションやファンドレージングを行う人達はテキパキ、元気、
という感じ。日本のように色々部署をまわされると組織の全体像が良く見え、
こちらのように専門性がはっきりしているといちいちゼロから教育しなくて
いいし効率的かつ効果的。どちらもそれぞれ良さ・悪さがある。

2.新陳代謝の速さ

組織が発足した当時からいるスタッフ、というのがほとんど皆無。
2~3年でスタッフがごっそり入れ替わる、という。
養老孟司が確か『バカの壁』の中で「昨日の自分と今日の自分は違う」と言っていた。
毎日多くの細胞が死に、多くの細胞が新たに生まれているから、1ヵ月も経てば
全ての細胞が新しい物に変わっている、という訳だ。
組織についても同じことが言える。組織の名前(身体の外見)は一緒でも
中身(細胞)は大きく変わっている。それでもアイデンティティを保てるのは、
同じ機能(スキル・専門性)を持つ細胞(人材)が死んだら(ポジションが空いたら)
同じ機能を持つ細胞が代わりに入る(採用される)から。そして、引き継ぎが
スムーズにいくように、仕事内容はできるだけシステム化されているから
「うちのやり方」みたいなのが保たれる。

この事実は1.と深く関係している。というか、2.を可能にするには1.というシステム
が必要、というべきだ。北米のようにあまり定住せず職を転々とする文化では
抜けたポジションを同等のスキルを持つ人がreplaceし続けるシステムにならざるをえない。
だから自分のスキルが何か、というのを明確にして、それに適した場所に入ることが
求められる。更に溯って高等教育もその1つのステップという位置付けになる。
(「長所は持ち前のやる気と根性です!」じゃダメな世界)

日本のシステムは言ってみるならば最近話題のES細胞のような人を採用して、
その企業独自の文化や必要とされる職種に応じて変化してもらうことを前提としている。
「ポテンシャル採用」、という言葉はまさにぴったりな表現に思える。


3.とにかく前へ


COO(チーフ・オペレーション・オフィサー)の人がブルドーザーのような女性
で、とにかく組織を前進させる。日本でよく「二人三脚で~」というような
表現をするが、うちの組織を見ている限りみんな足並みを揃えて、という
より1人圧倒的なリーダーシップを取る人がいて、ヒモが解けようが
途中で数人転びようがとにかく前進。全員ひきづってでもゴールを目指す、
そんな印象。よく外資系企業は仮説思考でとにかく前へ進む、というような
ことを聞くが、こういうことなのかな、と思った。
日本企業が「じゃあ、1,2,3で右脚から先ね。ヒモはちゃんと解けないようにキツくね」
なんて言ってる間に海外勢にアッという間に追い越されるのも分かる気がする。

4.超フラット

組織全体のシステムを取りまとめる的なポジションについている女性、
なんと22歳でした・・・。態度のでかさと役割的に自分より年上かと
思っていたが、大学卒業したてかよ。。自分より二周りくらい上の世代の
人達を立派に仕切っております。日本じゃまず考えられないですね・・・

そこで「あの生意気な小娘が・・・」とならないのは、まあ文化の違いだから
しょうがないですがやはり気持ちがいい。仕事ができるなら、年齢なんて細かいこと
言わずやらせてやればイイじゃない♪というノリはホント楽。

結論

どれも、よく組織文化の違いで挙げられる一般論ですが、それを身をもって実感。
と同時に、一般論ってさすがに結構正しいことを言っているんだな、と実感。

日本と比較してどちらが優れているか、ということを言いたい訳じゃない。
逆に「本当に一長一短だ」ということを再確認しただけ。
日本が圧倒的に優れていると思う点もあればこっちのほうが明らかにmake senseする、
と思う点もある。ただ、やはりこちらの組織文化は等価交換、定量化、一物一価
という資本主義と親和性の強い概念があらゆる面に色濃く反映されていると思う。

しかし、グローバル化という名で実はかなりアメリカナイゼーションが進んでいる
経済の中では、最早好き嫌いと言う問題ではなく、嫌でも国際ルール(という名の
アメリカンルール)に従わないとゲームで不利になる、という厳しい現実がある。
最近日本で話題の「社内英語公用語論」なんてまさにこちらから進んでそちらの
プレイングフィールドに合わせます、と宣言しているも同然。確かに英語は世界
共通語だから当たり前、と言うのも分かりますが・・・
個人的には英語の出来る人材の株が更に上がるので喜ぶべきなのかもしれないが、
日本人としては「日本語に誇りはないのか!」と少し言いたくなってしまう。
別にナショナリストじゃないですよ。留学すると日本が好きになるんです(笑)

「美しい日本文化・日本語を守りましょう」というのもどうかと思うが
あっけなく他言語をオフィシャルとして採用しちゃうのは、どこか古い建造物
を平気でぶっ壊しちゃってきた日本の歴史と相通ずるものを感じてしまう。
(フランス人なら「シンジラレナーイ」と言うでしょう)

なんかあっちゃこっちゃ話が飛びましたが、要するに卒業後どこで働こうか
(国,機関含めて)、ということが目下の悩み事である僕にとって更に悩みは
増えるばかりなのであります・・・

助言・反論・意見、歓迎。

2 件のコメント:

QD さんのコメント...

「数人転びようが」は
「数人転ぼうが」が正しい日本だと思いま~す
コマカイこってすんまへ~ん

yk さんのコメント...

そうっすね。
正しい「日本」っすね。